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しちがはまの祭事や歴史をご紹介。語り部ガイドをご希望の方は、観光協会事務局までお問い合わせをお願いいたします。


七ヶ浜の民話・郷土史に興味がある方は要チェック!

聞き書き七ヶ浜

聞いてけさいん、話してけさいん。七ヶ浜のいまむかし

七ヶ浜町の民話から、今の人々の生活を取材されている「あべこはる」さんのブログです。

地元の人が見ても「えっ!こんなことが!」と驚きます。

本や町のホームページにも載っていない郷土史がここにあります!

ぜひぜひ一度ご覧いただければ嬉しいです。


七ヶ浜のあわび伝説がアニメーションになりました!

しちがはまの海ノ民「大根明神のアワビ祭り」

七ヶ浜町の大根明神(おおねみょうじん)の民話がアニメ化されました。大きなアワビに助けられた事があってから鼻節神社のお祭りには生きたアワビを供えるようになったと伝えられていて、現在も、旧暦の6月1日に大根明神祭(あわび祭)を開催し、海上安全を祈願しています。大根明神は、花渕崎東海上7キロの沖合いの海底の岩礁で、もともと鼻節神社にあったのが貞観の大震災の時、地盤が陥没し垂水に遷宮したので、鼻節神社の奥の院であるとも言われています。



七ヶ浜の郷土史、歴史スポットの紹介


湊浜・薬師堂

薬師堂は、幅一間、奥行き約五間半の岩窟に半肉掘りの薬師像が刻まれています。七体あったうち三体が現存し、他は風化により消えかけています。これを本殿として屋根をかけ、旧河道に向いて拝殿が建っています。伝説によると宮城郡名の三薬師を慈覚大師(じかくだいし)が、海上安全を祈願するために一夜にして彫り上げ、そのできあがり時刻によってそれぞれ名付けたと伝えられています。「宵の薬師・岩切の東光寺裏山」「夜中の薬師・利府の菅谷」そして、「夜明けの薬師・湊浜薬師堂」。湊浜には磨崖仏座像(薬師座像)があり、七ヶ浜町歴史資料館で複製を見ることができます。


松ヶ浜・荒崎稲荷神社

御殿崎の突端に位置し、中国から九州地方に伝わったとされる航海安全の守護神・媽祖が祭られています。祠の中には、木の板に天妃像と二人の女官が描かれた墨絵が大切に残されています。漁業の神様として、古くから漁業者の信仰が厚く「御殿場様」とも呼び、大漁の際には懸け魚を神前に供え、大漁への感謝と、さらなる豊漁を祈願したそうです。


菖蒲田浜・諏訪神社

諏訪神社は、地区の鎮守神として家内や海上の安全・大漁・豊作・無病息災などの祈願をする人たちが多く、信仰を集めていました。祭日には参道の両側にのぼりが立ち並び、御輿がのぼりの中を通り抜けて海岸近くの集落を練り歩きました。また、祭神である健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)は、相撲の起源にまつわる神であり、境内では奉納相撲が行われていたそうです。


花渕浜・大根明神祭

大根明神(おおねみょうじん)は、花渕崎東海上7キロの沖合いの海底の岩礁で、もともと鼻節神社にあったのが貞観の大震災の時、地盤が陥没し垂水に遷宮したので、鼻節神社の奥の院であるとも言われています。七ヶ浜の民話といい伝え(鈴木與蔵氏編集)には、「昔、親船が荷物を満載して花渕浜に向けて航行中に、にわかに海が荒れておおしけとなり、波にもまれながら大根様の上を通ったら、みしっと音がして船底に穴があき、海水が吹き出したので大騒ぎになった。早速垢取りでみんなで水を汲み出したが、だんだんみずかさが増してきた。船頭が鼻節神社の方に向かって手を合わせ、『鼻節様、どうか助けてけさえん。』と一心に拝んだら、今まで勢いよく吹き出していた水が、ぴたりと止んだのでほっとした。ようやく花渕浜に着いて船底の穴をのぞいたら、大きなアワビがしがみついていて穴を塞いでいた。この事があってから村の人達は、鼻節神社のお祭りには、生きたアワビを供えるようになったと伝えられている。」次のように記されています。現在でも、旧暦の6月1日に大根明神祭(あわび祭)を開催し、海上安全を祈願しています。【花渕浜・旧暦6月1日】

※このお祭りは神事のため、基本的に一般の方が参加する事はできません。


花渕浜・鼻節神社

地区の旧家に残されている「鼻節大明神御縁起」によると、今から2400年ほど前の第6代孝安天皇(前392-前291)の時代に、猿田彦命(さるたひこののみこと)を祭神として花渕浜吼坊ヶ崎(こうぼうがさき)に勧請し創建されたと伝えられています。この神社は、多賀城を陸奥国の役所としていた頃に使われていた、国府厨印(こくふくりやのいん)が明治のはじめ神社修復の際に発見されたところです。また平安時代に、全国の神社を調べた古い記録の延喜式内神名帳(えんぎしきないじんみょうちょう)にも名前があります。大社(たいしゃ)と小社(しょうしゃ)に分けられていますが、名神大社(みょうじんたいしゃ)に属する位の高い由緒ある神社です。清少納言の『枕草子』や『朝野群載』にも記録があり、これらによって朝廷の尊信を受け、民間の信仰がいかに厚かったかを知ることができます。


吉田浜・吉田神社

吉田浜の地名の由来となった吉田神社は、海を見晴らす小高い丘の上に吉田浜地区の家並みと漁港を見守るように建っています。言い伝えによると、祭神は「太田姫(太田姫命)」で、”姫宮”とは、妻という意味なので、太田命の妻となります。太田命と猿田彦命は同じ神であるという説があり、それを受けて、鼻節神社の祭神が猿田彦命だったので、花渕浜の隣村の吉田浜では、猿田彦命の姫宮を祀ったのではないかという説もあります。


吉田浜・吉田浜獅子舞

吉田浜獅子舞は、塩釜神社の末社である吉田神社の奉納獅子舞で、明治初めの頃から伝承されております。吉田神社の境内には、海上安全を祈願した八大竜が祭られています。毎年旧暦3月17日の吉田神社御祭礼の日は、竜神講を組織し、大漁祈願、家内安全、悪魔払いを祈念して、吉田浜地区の家々を歩いて廻ります。【旧暦3月17日】


代ヶ崎浜・毘沙門さまのお歳とり

多聞山の地名の由来となっている「毘沙門堂」。本尊に毘沙門天像(多聞山像)を安置しています。33年に一度開帳され、次は2029年の予定です。ここでは、毎年12月13日に「毘沙門様さまのお歳とり」というお祭りが行われています。参拝者には湯豆腐が振舞われ、食べると次の一年は風邪をひかないと言われています。地区住民の家々では、二つの餅を毘沙門様に捧げ、別の参観者の供えた餅を一つ持ち帰ります。そして、親戚一同を招き、家でこの餅を振舞うことが慣わしとなっています。【毎年12月13日】


東宮浜・笠岩堂縁日

ご本尊は笠岩観世音といい、出羽三山から訪れた修権者、明海上人と正海上人を祀った小さなお堂です。その昔、修行のためにこの地を訪れた明海上人と正海上人がお亡くなりになった時、逆さまに埋葬するように遺言を残しましたが、いかに遺言とはいえ逆さまに埋葬することは忍びなく、正しい形で埋葬しました。まもなく区民達の間で熱病が広がったので祈祷をしたところ、上人の遺言を守らなかったことが原因であると伝えられ、早速改葬すると病気はたちまちのうちに治ったと伝えられます。それから、毎年旧暦2月8日の縁日の日にお堂で配られた祈祷符は、各家の入口に逆さまに貼る慣わしとなっています。このお札は、風邪等の病にご利益があるとされています。【旧暦2月8日】


東宮浜・東宮明神

塩釜神社の末社として古くからまつられてきた神社で、東宮という名は塩釜神社の東方を護る神として名づけられたと伝えられています。この場所は岬になっており、北西の方向に塩釜港と北東に松島湾の島々を眺望することができます。また、東宮明神がまつられていることから、この地は「明神崎」と呼ばれています。神社のかたわらに、伝説にのこる腰掛石と海中に紫石があります。


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